僕は本当にフジファブリックのファンなのだろうか
2019年が自分にとって特別である理由は様々あるのだが、やはりあの人の死を想わずにはいられなかった。
志村正彦。2009年12月24日に亡くなってから、今年でちょうど10年が経つ。
かつて野球少年だった彼は、中学生の時に奥田民生のライブを観て音楽を志した。2000年にフジファブリックを結成し、フロントマンとしてヴォーカル/ギターを担当。インディーズとメジャーを含め、生前に4枚のフルアルバムを世に送り出した。
29歳でこの世を去った志村正彦。あまりにも若く、そして突然だった。
* * *
10年前、高校2年生の夏頃だっただろうか。クラスメイトがフジファブリックを聴いていたのをきっかけに、僕はTSUTAYAで『FAB FOX』と『TEENAGER』を借りた。そのヘタウマで味のある歌唱とひねくれた不思議なアレンジの虜になるまで、それほど時間はかからなかった。続けて他のアルバムも借りて、当時は『CHRONICLE』に収録された"Sugar!!"が好きでよく聴いていたのを覚えている。
こうして、僕のどす黒い青春時代を彩る存在となったフジファブリック。登下校時はもちろん、家でも毎日のように愛聴するほど大切なバンドとなっていた。
それから数ヶ月。とある日の放課後、志村正彦が亡くなったことを人伝に聞いた。それが亡くなった当日だったのか数日経った後だったのか今となっては定かではない。ショックのあまり記憶が曖昧なのかもしれない。まさしく青天の霹靂だった。
その後、フジファブリックは志村正彦以外の3人で活動を再開。2010年、志村の生前に録りためた楽曲を仕上げて収録した『MUSIC』をリリースした。再生ボタンを押して耳に飛び込んでくるあの歌声を聴いた瞬間、こう思った。
「なんだ、生きてるじゃないか。」
この時点で、僕の中のフジファブリックは「永遠」に止まった。その後リリースされた『STAR』も聴いてみたものの、やはりどこか腑に落ちず、僕は志村正彦が遺した楽曲たちだけをひたすら反芻するようになってしまったのだ。
* * *
僕は本当にフジファブリックのファンなのだろうか。
そんな気持ちを、この10年近くずっと抱えながら生きてきたように思う。志村正彦の存在を思い出すたびに、どこか宙に浮いたような心地がするのだ。そして、彼の遺志を継いで活動する今のフジファブリックを素直に好きになれない自分に対し、どうしようもなく嫌悪感を抱いてしまう。ずっと、この繰り返しなのだ。
志村正彦は、こんな僕をどう思うだろうか。僕は間違っているのだろうか。いまだに着地点が見えなくて困る。
あれから10年。あっという間だった。これほどまでに彼のいない世界が空虚だとは思わなかった。寂しい。ただのファンにすぎない僕でさえ、そう思う。彼の功績の大きさを実感し続ける10年間が矢のように過ぎた。
フジファブリックは今年のROCK IN JAPAN FESTIVALに出演していた。ステージ間の移動中に、ふと耳に入ってきたあのイントロ。"若者のすべて"だった。
「最後の花火に今年もなったな」
あの名曲の名フレーズだ。しかし、10年前のあの日から、最後の花火はまだ一度も上がっていない。
(taku / おすしたべいこ)